'04年11号 No.78

☆作業日あれこれ☆

 10月の第2土曜日、9日は昨年の8月以来の台風襲来の日になってしまいました。しかし、前日の金曜日より台風の予想進路を見ながら、スタッフでこりゃ来るなと言いながらも、朝には差入れの生きた肉鶏・プリマスロックを受け取り、午後には焼鳥名人の包丁捌きでせっせと活動日の準備をしていました。いつもながら見事な名人技でしたが、初めてのフトン屋も参加して三平モドキと一緒にお手伝いをしていました。つまり台風襲来が予想されていたのですが、全く活動の中止などは誰の脳裏にもなかったのです。当然、来る人は少ないだろうけれども参加者が少ないわけだから、1人あたり食べられる量が増えるだろうというくらいの考えだったのです。すっかりみんなの頭の中は遊林会モードになっており苦笑しておりました。

 さて、雨の中、9日の作業日は始まりました。炭焼名人は、既に朝6時より窯に火を入れて炭焼き中でしたし、誰が来るかと眺めていると、やはり三々五々参加者がやってきます。台風情報を調べていると、幾分予定進路より東に振れ始めており午後には直撃を免れそうな希望が持てて来ました。まずは観察会からですが、この日の観察会は、久しぶりにこの森の植物分類学の大家・森小夜子女史(ハンドル・ネーム:おじゃま虫orヤマアラシ)を迎えて、水辺の植物です。参加者一同は雨合羽を着て女史に続きました。この森は標高120mなのですが、女史の解説によるとオオバチゾメ、、オオバタネツケバナ、オオハナワラビなど山地性の植物が多く、やはり珍しい植生の森であることを、一同再確認した次第です。タコノアシやミゾハギ、ハイハマボッスなど女史の尽力によって守られた植物も多く、改めて女史に感謝です。

 参加者は総勢約20人、午後には台風襲来の予想される雨中のこの人数を多いと見るか少ないと見るかは読者の皆さんの判断にお任せしますが、集まった以上雨でも作業開始です。この日は竹林の間伐や林床整備も予定していましたが、人数も少なく午後については予断を許さず、午前中の出来る時にやってしまおうと、全員で2年間育成していたエビネの苗を森に戻す作業に専念しました。スコップでそれらしい場所に穴を掘る者、ポット苗を植え付ける者、分業で雨の中の作業は進められました。木道沿いから始まって交流広場(施設整備のされる前、集まってお昼を食べていたエリア、現在、キノコ博士と焼鳥名人が、休憩所の再整備中です。)まで多くのエビネの苗を植えました。2年後には多くのエビネが森に春の訪れを告げてくれることでしょう。盗掘などに合わず、そうあって欲しいものです。
 
 作業は丁度お昼前に終わりましたが、作業小屋では焼鳥名人が昨日のプリマスロックの砂肝やササミの刺身、皮の焼鳥などに専念されており、ガラから出汁を取った冬瓜のスープ、鶏釜飯などと合わせて鶏づくしのごちそうをいただくことになりました。心配した台風の方は予想よりも更に東にそれて雨脚も弱まり、午後の心配はなくなりましたが、久しぶりに午後は「雨喜び(アマヨロコビ:雨で作業を中止して楽しむこと)」とすることとしました。お昼をいただいた後は、手元にあったDVDを見ながらのお昼寝タイムとなった人や、延長戦で急遽いきものの森代行運転(無料サービス中)が必要となった人など、それなりの時間を過ごしました。いつもながらに思うのは、台風のような悪天候でも参加する人のいるありがたさです。因みにDVDのタイトルは「チップス先生さようなら」で、この森の顧問でこうした時いつも大鼾でお休みの大先生が、いにしえにこの映画を見て教師になろうと決心されたとかいう代物です。50年余り前のことのようですが。  


 10月27日の第4水曜日の作業日は冷え込み、作業小屋の薪ストーブに火を入れて楽しむところからスタートしました。作業は、河辺の森駅の広場整備と竹林の間伐です。駅広場では、元祖炭焼名人がいつものユンボを扱って池や木を植える穴堀、炭焼名人は池の給排水設備作り、三平モドキが雑用といった按配でしたが、吹き付ける風が強く頭が痛くなったとか言ってました。竹林では、竹材を伐り出す時期になりましたので、工作などに使う竹の間引きです。いつもの口と手の動く方々ばかりですので、作業は順調に進んでいました。この日のお昼には、久々に焼鳥名人、トラ吉小父さん、特攻隊長のナントカ横綱の揃い踏みでしたので賑やかな限りでした。ちなみに大先生、キノコ博士、酒屋の番頭さんはナントカ大関で、こちらもお揃いでしたので・・・・。横綱の方々のスタートが遅れはしましたが、もちろん午後からもそれぞれの作業に精を出されたことは言うまでもありません。

森の居酒屋は11月10日 (場所変更・参加者要連絡)午後7時頃〜
11月13日(土) 午前9時(遅刻可)より 作業開始
 センター休館のため、11月25日(木) 週日活動 
主 催 者 : 遊 林 会

連絡先:八日市市 花と緑の推進室 Tel 0748-20-5211 Fax 0748-20-5210 当日連絡先:携帯(丸橋)090-3352-3163
Eメールでも、ご意見をお待ちしています。E-mail:ikimono@po.bcap.co.jp
 

☆河辺いきものの森情報

 当市は来年の2月に合併を控えており、この森でも何かと事務が増えています。後悔先に立たずで、こうした時にうしまろを研修に出したことをぼやいてみても後の祭りです。きっと今頃は実家で毎朝聞こえた牛の鳴き声なども忘れて、この森では余り自然観察は熱心ではなかったのに、夜の蝶の観察にでも精を出しているのか全くホームページの伝言板への投稿もなくなりました。例の携帯電話ですが、ようやく前日に購入しましたので、いざというときにはメールで連絡が出来るので少し安心です。  事務担当の前田が契約期間が終了して、山路に交替しましたので、よろしく。

☆森にお地蔵さんが

 初代炭焼名人はあの反戦爺さん・黒瀬翁の友人だったのですが、彫刻を趣味とされています。前々からセンターに観音さんでもと言われていたのですが、如何に治外法権の河辺の森とはいえ、政教分離は原則と辞退を重ねていました。しかし、お地蔵さんなら、この森を訪れる子ども達の守り仏様として習俗とも見なされるだろうからと「妥協」をしたのです。先日、早速、黒瀬文庫の上に置ける大きさの木彫の地蔵様が届けられました。  一方、山田親方はこのところ森守ハウスの1階の建具の取付にかかり始めましたが、これが観音開きで森のお堂を思わせます。で、考えてしまいました。ここで森の地蔵盆をやるというのはいかがでしょうか。どなたかやってみようという方、いませんか。


☆「里山七彩」、日本の原風景は?

 今年の里山七彩、第1回目は他講座と合同で開催した柳生博氏の講演で始まりましたが、テレビでお馴染みの氏が日本野鳥の会やお住まいの八ヶ岳の森についてお話になりました。
 実質的に第1回になる講座は、京都精華大学の小椋純一氏の「草原の利用と変遷」です。この講座だけが夜間のために出席者が少なく、少々寂しい感じで講師の小椋先生には申し訳ないことでした。お話は、まず、日本列島の地目の中に占める近代から現代に至る草原の面積の推計と根拠からです。氏には、かつて現在は常緑樹に覆われている京都の周囲の山々が、草原あるいは背の低い松などの植生に覆われていたことを、古絵図や古文書の景色の記述などからお話ししていただきました。

 今回は近代の日本列島も京都の山々と同じくこうした草原状の山が半分以上、地域によっては7〜8割がそうした地目であり、現在の我々が感じている景色とは随分違っていることを説明されました。そうした土地利用の理由は刈り敷き(イネ科の草などを田畑の肥料として鋤き込むこと。これだけで肥料分を賄うには田の面積の10倍の草地が必要だとか。)、家畜の飼料として極めて多くの草を必要としたために、現在は森林の部分も草原だったそうです。また、そのような土地では、酷使されたために樹木も生長することが出来ず、痩せ松くらいしか生えず、現在でも人里近くの樹齢数百年の木の年輪を調べると、こうした時代の成長量は極めて少ないそうです。
 そうしたことに引き続いて、阿蘇の草原を例に土中の焼かれて生成した草原由来の微粉炭の存在、それらの生成年代は炭素同位元素による測定結果から、およそ1万年前からで、火山噴火や山火事ではなく人類による継続的に草原に火入れがされて形成されたと考えられること、そうしたことが阿蘇にはとどまらないことを他者の研究結果を基に説明されました。1万年前というとウルム氷期が終わり縄文時代が始まった頃で農業のかけらもない時期ですが、人類は狩りのためや見通しを利かせて居住地の安全確保のために火入れをしたのではということです。そうだとすると縄文時代、日本列島は全面的には鬱蒼とした森林に覆われてはいなかったことになります。クマが補足するならば、最後の氷河期が終わり冷温帯の森林(主に落葉樹)が衰退し、未だ南から温帯のカシやツバキなどの常緑樹が進出しない(種子の供給が間に合わない。→こうした重い種子は風で遠くへ運ばれるようなことがないので、とても伝播のスピードが遅い。)うちに日本列島ではあちこちで縄文人による火入れが行われて、草原が出現していたようです。草原起源の微粉炭を含む黒ボク土が日本列島の2割以上を占めているようで、少なくとも氷河期以降の日本列島は、全島が森林に覆われていたと言うよりは、かなりの面積の草原が存在したと考える方が自然なことのようです。(要注意:黒ボク土は火山灰土の一種と考えられていたが、そこに含まれる植物珪酸体分析などから草原的植生下で長い年月かけて生成されてきたことが明らかになってきている。鳥居厚志 2001)
 今回の講義は我々の常識に対する挑戦でした。今後も里山七彩ではこうした最先端の講義を計画しています。次回は、12/18(土)14:00〜 嶋崎洋路(嶋崎山林塾主宰) 「日本の山と山づくり」です。

 

☆11月の活動日は、イモ尽くしか?

 イモご飯、天ぷら、焼き芋、煮物・・・・、私は小さい頃に主食代わりに食べ飽きましたので、遠慮したいのですが。

   
 容器やコップは数に限りがあります。食器の持参をお願いします!

発行者:八日市市建部北町 河辺いきものの森ネイチャーセンター内 遊林会 世話役 武藤精蔵 Tel 0748-20-5211
遊林会URLは http://www.bcap.co.jp/ikimono/yurin/index.html or ”遊林会”で検索  あなたの思いを掲示板へ
この通信は、林野庁の「里山林のあらたな保全利用促進事業」補助を受けて発行しています。


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