’00年7月号 No.26
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オニノヤガラ |
毎回、作業日の天候にヤキモキします。今回も天気予報は雨、前日に道具などの準備を済ませましたが、食料品の購入は当日に送ることにしました。幸いに今回も当日の朝は泣き出しそうな空でしたが、雨は降っていませんでした。やれやれ、今日も実施できる、食料品購入手配をしなければ・・・・・。多分、7月の作業もこんな調子でしょう。2年前にも、7月の作業を中止しています。早く出来ろよ、作業小屋!
6月の作業もメインはタケゴン相手の格闘。敵は変幻自在です。多い場所では、5月の作業、サンデー毎日組の作業、森の探検隊活動、南高生の応援、今月の作業と5回目のタケノコ退治になるのですが、タケはしぶとく姿を変えて生き残り作戦を展開中です。タケの絶滅エリアでは、地下茎の栄養が少なくなり5月と比べれば発生するタケノコが細くなり、ササタケのような姿でお目こぼしにあずかろうという作戦も見え隠れします。絶滅エリアでは地下茎に対する兵糧攻作戦中であり、今年の夏に光合成を行なわせず養分を地下茎に蓄えさせなければ、来年の春のタケノコはもっと細くなり、いずれは絶滅させられるはずです。真夏や秋も地下茎から発生するササタケモドキの発生に注意する必要があると考えています。一方、竹林ではタケノコの間引きで適正な本数に抑える作業を実施、概ね4〜5m四方に1本程度の太いタケノコを残す作業を展開しています。晩秋には、残した本数と同じ数のひねた竹を伐採します。 昼食は、今回もタケノコづくしでしたが、ハチクのおいしさに目覚められた方が多かったようです。昼食準備はいつもの板長や賄い方が欠席のために、常連ただ一人のMさんは大忙しでしたが、通りかかった面々も捕まえてテキパキとタケノコご飯や筑前煮の味付けをしていただき、お陰様でおいしいご飯をいただくことができました。料理旅館の女将ならではの鮮やかさです。自然観察指導員と共に森にやって来た金屋の子供会メンバーも筑前煮をおかわりしていましたし、森の探検隊でもそうでしたが、甘辛く炊いたタケノコの筑前煮は子供達にも好評です。ここだけでなく多くのこうした森を守るために、あく抜きの必要がなく料理の楽なハチクのタケノコを食べておいしさをPRすることも活動のひとつに位置づけられますね。
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オオバギボウシ? |
前号で山の神さんのことを聞いて書いていますが、その中で「昔はそれほど背の高くない細い木やコケの生えている場所だった」と紹介しています。建部北町の一部の方には、この河辺林通信を配達していますが、その際に畑仕事をされているM.Oさんにそのあたりのことを聞いてみると、それはハギのことで昔は豆づくりの手にしたもんだと返ってきました。この森では今でも山の神さんに分岐する清水道(シュウズミチ)沿いにハギが多く、常緑のアラカシの亜高木もなく妙に明るい森だと感じていたのですが、ナルホドというわけです。その後も話し続ける中で、またひとつ疑問が解けたように感じたことがあります。この森は20〜30年ほど前までは地棟にできる見事なアカマツの木が多く、それぞれ山の所有者は一財産を山の中に所有されていたのですが、その後マツクイムシの被害で全滅したことは皆さんご存知の通りです。疑問だったのは、愛知川河辺林の中でアカマツが優先しているような場所が他にない(対岸は植林した黒松の森)ことと、それにしてもアカマツが見事に駆逐されてしまったなぁということでした。明治の初めには、この森は既に個人所有で所有する水田の面積と森の面積は比例する関係にあったそうですが、廃藩置県が実施される中で個人所有の山林が国有地に編入される例が多かったために、いずれはお上の土地にされてしまうのではという不安がありました。それで、売れる内に売れる物は売ってしまおうと森の木を伐ったらしいのですが、感心したのは種子散布の役割を持つ親木を残したということです。水害防備林もあったものではないのですが、禿げ山状態にされた森では乾燥化が進み、多くの場所でアカマツしか生育できないような厳しい環境になり、まず最初に残された親木から撒かれた種子でアカマツ(ドングリより広い範囲に散布される)が繁茂したことは想像するに難くありません。これらのアカマツは戦後には樹齢70年以上、親木は100年以上になっており用材として利用できたわけですが、マッタケが多く発生する樹齢は越えており、ほとんどマッタケは発生しなかったと
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昨年までは、森の中は冗談で人跡未踏の地と言っていたような場所が多くあり、当然、そのような場所には充分な人の目が届いていませんでした。ところが今年の春から一部比較のために残したエリアを除いて、15haの森の隅々まで観察路を使って行けるようになったこと、常緑樹の下生えを整理して見通しが良くなったこと、陽の光が林床まで届くところが増えたことなどにより、様々な物が目に入るようになったり変化が生じたりしています。
作業の時にも、見慣れない植物は踏まないで、特に見栄えの悪いこの植物を折ってしまったりしないでと説明していましたが、オニノヤガラと呼ばれる葉緑素を持たない腐生蘭の仲間が今まで生息していた2カ所だけでなく、現在、10カ所程で目撃されています。来年以降の経過を追う必要があります。同様に今年になってよく目立つようになった植物に、イチヤクソウやホウチャクソウなどがあります。逆に最近少なくなったと感じている植物に、ウバユリがあります。
スズメバチの目撃情報が数多く寄せられていることも、今年の気になることです。森の変化に対応した結果なのか、それとも偶然なのか、いずれにせよこれについては対策が必要です。
7月より、前号で触れていました環境教育のための人の雇用や現場事務所の設置が、6月補正予算(全額国費)が成立すれば実施できる運びとなりました。活動前線基地の現場事務所には電気も水道もありませんが、遊林会活動の大きな力になります。
遊林会の財政基盤確立について述べてきましたが、資金を得るための会費制度などのシステム化だけでは永続的な基盤確立にはならないと考えています。賛助会費や会費を徴収していくためには、会費の使用使途である会の運営について合議制や会計の公開がなければ発展は望めません。現在は、効率を重視してほとんど総てを花と緑の推進室で処理していますが、今年度中に理事や監事にあたる方を募り合議制と会計の公開をする予定です。効率は落ちますし今まで必要でなかった会運営のための労力が必要ですが、活動の永続性と財政基盤確立のために避けて通れない道だと考えております。今後、理事や監事への就任をお願いし作業以外にも労力提供を求めることもあろうかと思いますが、その際には協力をお願いします。名誉職的なものとは考えていませんので、実際に活動に参加されておられる方、経理等の専門的知識で協力していただける方にお願いする予定です。自薦、他薦もお待ちしています。
これらのことは、特定非営利活動法人(NPO)への道でもあります。NPOの設立は、面倒な事務作業が増えて必ずしも活動の活性化にはつながらないとの指摘もありますが、先に述べた活動の永続性と財政基盤確立のために形が整い次第、早い時期に法人格の取得も考えています。
7月の作業では、竹林での今年発生したタケに発生年を記入する作業、絶滅エリアでのタケの何度目かの後始末、森の脅威のクズやササタケ退治、枯損木を使ったベンチ等の作成、アラカシの伐採等を予定しています。なお、7月の作業日は記念日でもあり雨天の場合、翌日に順延させていただきますので了承願います。
2ヶ月続いたタケノコづくしの昼食もお終いです。乾燥タケノコや塩蔵タケノコを使って7月もタケノコ料理で行こうかとも思ったのですが・・・・冗談です。この森での活動は6月で3年目に入りました。真夏の時期になる7月には作業時間を短縮して、無理のない作業で活動の継続を図るようにしていますが、今年も3年目を迎えた活動のひとつの節目として、昼食時から記念パーティを開く予定です。あのソメヤンハサケガスキー氏が森の中で焼きそば屋を開店してくれるそうです。その他にも焼き物や何かを考えます。昨年は焼き肉をしましたが、あれ以降しばらく財政が逼迫(!)しましたので、今年は安くておいしい料理を探しています。料理の提案や、焼いて食べられる物の差入れを歓迎します。
自分で使うコップや皿などの食器の持参に協力をいただけると後始末が省力化できます。よろしく!
八日市南ロータリークラブさんより、遊林会設立の時から今回で3回目になりますが、今年も5万円の補助金をいただきました。使用使途を制限されないこのお金は賄費用に充当していますが、遊林会活動継続のための貴重な資金として感謝しています。ありがとうございます。