’00年4月号 No.23

★3月は大忙し、山本君は休みなし

 3日に空けず雪が降っていた2月がようやく過ぎ、春の陽ざしが森の地面を温めるようになりました。間もなくスミレやシュンランなどの春植物が林床で花をを咲かせます。秋と共に作業が一番気持ちの良い時期です。今月は、京都や大津など遠くからの参加者を招いて3回の作業を実施しています。第1回目は、5日でした。当日は心配していました前日の雨も夜半には上がり春の作業日和となりました。京都や大津、甲南町などの方に市内の方をプラスして30人ほどで汗を流しましたし、11日の定例活動日にはなんと60人以上の方が参加して下さいました。中には、激励に来て下さった中村市長、高村議長のお顔も見え、地元建部北町の方の参加も多くにぎやかな作業になり、午後から崩れるという天気も熱気で少し遅らせることができたようです。次回の番外活動日は、3月25日です。

★遊林会の活動報告、目白押し?!

 昨年も、県の「郷土の森林保全活動」で活動報告や京都新聞八幡支局湖燈塾からの講演依頼などお呼びいただける機会がありましたが、聴衆の方の何人かは活動に参加して下さいますので、このような依頼を喜んでいます。これから実施される催しにも、発言の切り口は異なりますが、遊林会に発表の機会を与えていただいています。
3/18 「語ろう、里山のこと里山保全活動シンポジウム」 国土庁主催 栗東町芸術文化会館
3/25 「みんなで滋賀の風景を考えるつどい」
    滋賀県主催 琵琶湖博物館ホール
4/ 9 「アースディ2000しが 滋賀エネルギー21」
    アースディ2000しが実行委員会 愛東町
 特に、3/25の琵琶湖博物館でのつどいには、遊林会の番外活動日でもありますが、谷正美さんが報告されますので一部の者が早退して参加する予定です。今森光彦氏の講演もあります。市役所からワゴンを出しますので、参加希望の方は、詳細を花と緑の推進室まで連絡をして下さい。

 

★雑木の薪のその後U

アラカシの薪運び

 雑木の薪を湖東町ヘムスロイド村の穴窯燃料に提供していることは何回もお知らせしていますが、2月末に焼成作業が実施されました。ゆっくりと時間をかけて窯の温度を上げ、1100度から1200度の間では温度や炎、煙の状態を見ながら大量の雑木を使用して窯の温度を保ちます。焚き口に入れた薪は音を立てて瞬間的に燃え出し、薪の切り口からはジュウジュウという音と共に泡と水分が出てきます。昔、かまどで見た光景です。窯の中で燃え尽きた薪の灰の一部が炎にあおられて焼いている作品に付着し、高い温度のために解けてガラス質の飴色の自然の釉薬となります。釉薬としてみた場合に信楽で使用されている松割木の灰に対して雑木の薪の灰の違い、燃料としてみた場合には雑木の火力の弱さがオリジナルの作風を生むひとつの材料になることが期待されています。若い頃に火遊びの足りなかった押し掛け助っ人のY氏がどんどん薪を燃やそうとし、温度を調整している村松氏からしょっちゅうペースを落とすように注意が飛びます。木を伐ることや火を燃やすことは人をわくわくさせるようです。かつて人間の生きるすべの基本だからかもしれません。

灰袖かかった水差

 焼成作業の外野なんですが、窯出しが楽しみになって仕方ありません。1週間ほどして訪問するといい物が焼けていましたが、「売らない陶芸家」の面目躍如です。素人がいいなぁと思う物は信楽風であったりして個性に乏しいとして不満で、村松窯としてのオリジナルを求めて次の土や窯の焚き方を思案中でした。雑木の薪は好評でしたので、これからも遊林会ではどんどん供給し除伐した雑木の有効利用に引き続き取り組みます。ぐい飲み、期待しています。

★負傷のK氏、活動に復帰

 嬉しいニュースがあります。先月号でお知らせしていました作業中に負傷されたK氏が、まだ右手に包帯が残っている身で、心配を掛けてはいけないのでとおしゃってご夫婦で活動に参加して下さいました。早速、人使いの荒い遊林会では、「医者からアルコールはまだ止められているのですが・・・・。」という氏に、お酒のあての焼き鳥を焼かしてしまいました。誰かが、さすがにしらふでは気の毒とビールを勧めてしまっていましたが・・・・・。様々な意味でありがとうございました。ちなみに鳥は約束通りにビデオ大西提供、ソメヤンワサケガスキー氏調理でお届けいたしました。足をくくって運んだのは私、武藤でありました。




★森のない集落は燃料をどうしたのか

 前の号で町屋は薪をどうして手に入れていたのかを書きましたが、農業を営む集落でも地域によっては森のないところもありました。八日市では市長の住まいのある西市辺なんかがそんな集落のひとつです。西市辺は、現在の船岡中学の辺りに平地林を持っていたのですが、充分な量を賄うことができなかったようです。東市辺は布引丘陵に薪炭を得る権利を持っていましたので苦労はしなかったようです。町屋は下肥と薪の交換をしていたわけですが、農家では下肥を自分のところで消費しますからそんなわけにもいきません。まず、近くの森で他の集落のお目こぼしに預かるという方法がありますが、あくまでもお目こぼしですから充分な量は確保できません。作業をしている建部北町の河辺林でも、昔は八日市駅周辺の町屋の人が柴掻きに来られたという話も聞いたことがあります。
 次に集落で誰かが森を伐採する権利を買い、さらにその権利をみんなが分けてもらうというやり方です。その時だけの権利ですから、来年のことは考えずに徹底的に伐り尽くしてしまいますので、森は禿げ山になってしまい当分の期間利用できなくなってしまいます。(何年かすれば植えなくても切り株や土のなかに眠っていた種が活動を開始して森に戻って行く訳ですが、我々にとっては常識のこんなことも世界的に見れば珍しい環境であるという森林にとっては厳しい現実があることも記憶にとどめておく必要があります。) 松枯れや風倒木が問題になっていますが、当時ならこんな山も立木の権利を売って処分できますので、病気の蔓延や倒木による二次災害なども問題になることもなかったことでしょう。
 それでも、購入する資金や山がなければ充分な燃料は得られませんので様々な知恵がありました。森のない村の家は、糠を焼く臭いが染み込んでいたという話を聞いたことがあります。糠漬けに使う米糠については、どこの農家でも飼っていた鶏の餌や堆肥づくりに使用するのが通常の利用方法だろうと思うのですが、燃料の不足する地域ではかまどで”熾き(オキ)”の状態になったところに米糠を掛けて燃やしたそうです。その臭いが家に染み込み前述の話になります。また、かまどで火力がいらなくなると燃えている木片を消壷に入れて消炭として再利用しました。消炭にもならないような細片の火の粉状の木片は、飯釜を洗ってねばりのある水の中に入れて火を消し、充分な炭状の木片が集まると固めて乾かし木炭として利用したのだそうです。かまどで燃やす燃料も、木の葉、ムギワラ、ナタネやナスビなどの野菜の茎、豆殻など今では始末に困る農業廃棄物の品々を大事に利用していました。
 このような時代だったからこそ、森の樹は貴重な燃料資源として毎年の生産量を減らさないように大事に管理されていたことが理解していただけると思います。

★「河辺いきものの森」情報

 役所では3月は年度末で、仕事上の師走です。花と緑の推進室の”技師”であります黄地、川合の二人の”師”も事業に切りを付けるために文字通り走り回っています。4月には、森林観察デッキも駐車場も屋外便所もできあがっています。ネイチャーセンターの建設に取りかかるしばらくの期間、建部北町の森からは工事の音が止みます。心配なのはこの時期、人がいなくなった森に歓迎しない目的を持った人たちが入り込むのではということです。シュンランをはじめとする植物の盗掘や犬の散歩(犬は獣なので、この森の住民のアカネズミや、モグラ、タヌキ、キツネにとって脅威なのです。)、ゴミの不法投棄などが心配です。

★これからの遊林会

竹を手に説明する城さん

 3月に遠くからの仲間を迎えて作業を3回実施しますが、参加者の皆さんに遊林会の活動が好評なこともあり、これから参加者は益々増加することと思われます。毎回、作業グループを作っていますが、できるだけ早い時期にグループ・リーダーを増やしグループが自分たちでいろんなことを判断して活動できるようにして行きたいと思います。例えば、炭焼き名人の城さんですが、自分で段取りと工夫をして黙々と作業を進め、最近ではお弟子さんまで従えて活動されています。あんな姿を理想としたいと思います。作業の内容は、季節や現場の状態で異なりますので、専門職を配置(森さんや城さんは炭焼き専門でお願いします。)するというよりは、まぁ、作業の番頭さんです。1作業グループに数人のリーダーが配置できるようにならないかと思っていますが、グループの固定化は考えていません。これからの作業では、作業内容と責任者の紹介(指名?)をさせていただきますのでご協力をお願いします。いずれリーダーが集まってスタッフ会議を開き活動を相談するスタイルにしたいですね。

★4月の昼食のこと

 次回の作業日は、春、真っ盛りです。山野に芽を出した野草の天ぷらをメインに、様々な物を揚げましょう。差し入れ、何でも歓迎です。

★4月の作業予定

 4月の作業日は、第2土曜日が祭りの地域が多いため昨年も第3土曜日にしましたが、今年も4月15日(土)に変更します。


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