’00年3月号 No.22
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昼食の餅焼き風景 |
昨年の2月は大雪で参加者7名、作業はできないので雪上の動物の足跡を求めての観察会でした。キツネと思われる足跡を追跡して先ほど歩いた自分たちの足跡にぶつかり、登山用語ではリンデンワンダーリング、日本語では「キツネに化かされた」ということになったことを思い出します。最後にシャシャンボの鮮やかな赤い新芽を眺めながらの雪上パーティに、ジョニ黒のハーフボトルを懐から取り出した人物(あの黒川氏)がいました。今年の参加者を見てウィスキー氏いわく、「寒い時なので去年の2倍も参加者があればと思っていたのですが・・・・・」。私も昼食材料の見積もり誤りをしまして、参加者の中にはひもじい思いをされた方もあるのではとないでしょうか。
春の訪れを感じさせるような日和の中での今年の2月の作業は、少し動くと汗ばむほどでした。作業用の道路に初めて軽トラックを乗り入れて、椎茸のホダ木の集荷や、業者作業で伐られた木の中から薪になりそうな木の整理、竹のプロテクターの製作などを実施しました。枯れた杉の木を、現場に居合わせた林業作業員がチェンソーで縦に2枚に挽いてテーブル用の材にしてくれたので、参加者の人手を頼りに人力と軽トラックでいつものアラカシのダイニングルームに運ぶことにしたんです。据え付けは3月の作業です。
いつも地元の建部北町の方々もボランティアとして参加されていますが、今月の作業には特に多くの方が参加してくださいました。ありがとうございます。この種の活動は、地元の方の参加のない都市住民(よそ者)の活動というのが通常の例なのですが、ここでは北町の方をはじめとして多くの昔こうした作業を経験した方々も参加されています。これから遠くの都市からの参加者が増えるでしょうが、共にふるさとの森として心と物の交流の場にできるようになればと思っています。ネイチャーセンターで野菜や米の販売もできないでしょうか?
今までは行政も住民も箱物といわれる施設を造りたがり、その運営や利用はどちらかというとおざなりだという批判があります。私たちもこの森にかなりの金額を投じてネイチャーセンターを建設しますが、「なんやかんや言うても、結局、箱だけが目的やったんやないか。」と言われないようにと常に自問しています。幸いに2/3の補助金を得ることができましたので、それなりの施設(木造風鉄骨造金属屋根平屋建 500u)を建設できますが、重要なのはこの森を生かせる人材をここに配置できるかどうかということです。
センターには、利用者がこの森を理解するヒントを提供する役割があります。単に自然の紹介ではなく、自然に影響を及ぼす人と河の活動とそれに適応する自然(森)の姿や、森を利用した人の活動を紹介できればと考えています。なおかつ、利用者がこれから自然のために何をなすべきかを考える材料を提供したいものです。
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センターと作業小屋(左手前) |
センターの職員は、森の訪問者の案内役だけでなく、ボランティア団体と共同の森の管理者でもあります。森を元に戻す作業やエリアごとの管理指針の策定と実施など長い時間を意識した活動が求められます。センターや別棟の作業小屋、機具庫などは、ボランティア団体の活動を支えるための施設でもあります。活動時の道具の整理や後始末のたびに早くできないかな、そうなると楽なのにと思ってしまいます。計画がなければ、器用な方ばかりですので掘っ建て小屋をつくってしまうのですが・・・・。
センターの建設は、今年の初夏に始まります。作業の合間には、センターの運営についても皆さんからのご意見をお待ちしています。
作業で生産した雑木の薪は、湖東町のヘムスロイド村の穴窯の燃料に提供していますが、年に何回かの火入れが間もなくされます。前回の火入れの時には、遊林会から薪を提供していませんでしたので、松割木を燃料に使用したところ、火力が強く作品を焼く温度が上がりすぎて、焼成が村松氏の期待するイメージにはならなかったそうです。期待されています。私も作品の提供を期待しています。(私は、役得で氏から自然釉のぐい飲みを頂いてしまい、最近、日本酒を飲むことが増えてしまいました。)
全国的に見れば八日市はどう考えても田舎でしたが、それでも生産の場所である田畑や山を持たない2次、3次産業に従事する人たちの住む市街地が存在していました。旧の八日市町や中野村の一部です。灯油やガスを使えるようになるまでそんな地域の炊事などの燃料はどうしていたのでしょう。そんな疑問を、代々の町屋の商売屋さんに向けてみました。
炭を使っていたのかと聞くと、炭よりは薪の方が普段に使う燃料だったそうです。今森氏の著作の中に、湖西の森から丸子船で大津市街地の民家の燃料である薪が運ばれる様が書かれていますが、八日市では誰がどこから売りに来たのかと考えてしまいました。答えは以外だったんです。
「買いまっかな。農家の人が下肥と交換に持ってきてくれはるんですわ。時には、(腐りにくいんで)あんまり堅い紙、使わんといてやと言われたりしましてな。」
肥料として下肥が貴重であった時代、利用する農家が野菜や餅をとどけるという話を聞いたことはありますが、薪との交換という話は初めてでした。いずれにせよ昭和30年代までは、町屋にも燃料を乾燥させながら蓄える中二階の「つし」があり、八日市では近在の山のある農家から燃料の薪を手に入れていたようです。
今まで人跡未踏の地と冗談で言っていた西側の墓地に至るエリアも低木層の常緑樹が伐採されて、目線の位置での見通しが利くようになりました。業者作業による林床の荒廃を避けるために亜高木層のアラカシの伐採をしていませんので、いまだ林床には充分な陽の光が届きません。増殖を阻止するササタケや残すアキノギンリョウソウやコウヤボウキに合わせた林床の植物の生育条件に合わせたきめ細やかで計画的な管理が、今後必要です。このような作業は業者作業の質では無理があり、時間と人手を投入できるボランティアによる作業が重要です。以前に、業者作業の後はボランティア作業の内容が大きく変わると書きましたが、作業が進むこの森を見ていると、作業内容が増えこそすれ今までしてきた作業が無くなることは無いなぁという気がします。頭の中は、あれもこれもしなければとパニック状態です。「河辺いきものの森」は、この種の森としては決して広くはありませんが、植生の変化が特徴です。このエリアにはモミジやサクラも多く、現在ボランティア作業の中心になっているエリアとは少し様子が異なるしっとりとした森になりそうです。
3月の作業時には、あれこれ言われていた森林観察デッキの脚の部分が据え付けられています。森の樹の中に埋もれた脚の姿に一安心しています。担当者は、工期や工事内容、補助金申請に追われて、ますます○が薄くなるのではと人ごとながら心配してしまいます。
3月には活動日を増やして、いつもの「遊林会」のメンバーでない県内外の方に働きかけた番外の作業日を5日、25日に計画しています。当日、炭を焼いたり、先輩としてお手伝いいただける方がいらっしゃると本当に助かります。よろしく。
定例の第2土曜、11日には、春を充分に味わえるような作業を計画しています。キノコの菌打ち作業、ひなたぼっこ(?)、薪の材料の集荷、テーブルの組み立て、雑木の実生苗の移植などを予定しています。炭焼き、チッパーの運転などはいつも通りです。
2月に週日の作業を試行しました。参加者はシニア組が大半の12人でした。これからも軌道に乗せて定例作業にしていきたいと考えています。(3月は、番外の作業が2回ありますので週日作業は実施しません。)そのことはそれでよかったのですが、午後にチッパーの操作をされていたK氏が処理作業中に負傷をされました。K氏は、「自分のミスで申し訳ない、今後、この事故のために活動に支障が生じないようにして欲しい。ケガが治ればまた参加します。」とおっしゃって下さっています。痛みがあるだろうに、さわやかにこのようおっしゃり市長の見舞い等も堅く辞退される氏の姿に自発的な参加のボランティア活動が何であるかを改めて感じさせられました。
事故が続いており対策が必要です。改めて安全手順の確認や、安全講習などを今後取り入れます。4月にはチェンソーの正しい操作講習を販売業者に依頼しています。革手袋の使用や飲酒後の機械や刃物の使用を制限するようにします。どなたか、企業等で安全教育や点検などに従事されてこられた方で、常時、作業の安全を指導していただけないでしょうか。
予告していました大西さんの鶏が、諸般の事情で生き延びています。「まだ無駄飯を食わさないかんのかいな。」と言われています。3月には、鶏肉の釜飯と鶏の出汁を使った鍋(うどんを入れましょうか?)他を予定しています。今月は、予告通りキリタンポ鍋にしましたが、新しい食べ方として好評でした。しょうゆ味、鶏肉、ゴボウがポイントです。酒粕を使った甘酒も今回初めて取り入れましたが、寒い時期にはこれからも出す予定です。
あの反戦爺さんの黒瀬さんが秋田県大潟村の息子さんの製造されている餅と当地のリンゴを差し入れて下さいました。ソメヤンハサケガスキー氏は、毎回、材料持参で賄い方をつとめてくれています。野菜だけが参加してくれている方や、使わないからとビール券をカンパして下さる方、いつもありがとうございます。