河辺林通信−−−建部北町の森から  ’99年9月号

★お盆真っ最中の作業日は?

 毎月やろうとの意地だけで実施したような8月の作業には、何人が集まるのか心配していました。ふたを開けてみると意外なことになりました。次から次へとやって来るのはベテランばかりです。思わず「家の方はええんかいな?」と考えてしまうような方々ばかりです。さすがに昼からは「仏様の守をせんならんでな」やら「親戚へ行かんならんでな」という言葉が聞こえてきていましたが。今回は男性15人で、初めて女性の参加者はゼロでしたが、これも未だ女性の家庭における立場を示しているのかと考えています。
 幸い、ギラギラとした陽射しではなく作業日和でしたが、無理のないペースでの作業を心掛けました。大半の人がササ退治に専念しました。この森にはササが少なく限られた部分にしかありませんが、そのほとんど唯一といえる場所がいつも休憩している場所の近辺です。効率を考えるとエンジン付の刈払機でやるのが一番なのですが、安全とそれほどの量でもないのでカマでの手作業です。今後、下草刈り作業で刈払機を使うかどうかは、ボランティアの数と下草の量によりますが、刈払機は一網打尽ですべての木や草を刈ってしまいますので、できるだけ避けたいものです。市内の平地林の明るい林床で赤松が育たない原因のひとつに刈払機による作業の影響と考えられる例があります。

今が盛りのヤブランの花


 そんな中で、ひとりで黙々と薪の束を一輪車で森の外に運んでいたのが福嶋君です。(月曜日に筋肉痛だと言っていました。) おかげさまで薪は湖東町のヘムスロイド村の穴窯の燃料に届けることができました。窯の周りに大量に積まれた松割木の横で、少ししかない雑木の割木(薪)はちょっぴり恥ずかしい感じでした。穴窯は8月の初めに試し焼きをしたところで近日中に本焼きをするそうです。次回にはもう少し運ぶ量を増やしたいものです。


★作業参加の日には、マイカップを!


武藤25年愛用のホウロウのカップ

 作業の休憩の際には、紙コップなどで飲み物を飲んだりしていますが、資源のことを考えると使い捨ての現状に何とかしたいと考えていました。登山をする連中は、ホウロウ引きのカップや最近ではチタン製のシェラカップと呼ばれるカップを持ち歩いています。そんな物でなくても良いのですが、少々の熱にも耐える(みそ汁などにも使える)大きめの取っ手の付いたカップを探してみて下さい。みんなでマイカップの持参を進めて、できるだけ紙コップの使用を減らせないかと考えました。御協力をお願いします。



★県立大学の野間講師、作業に参加


ツリガネニンジンの花

 先日、彦根で開催された炭のシンポジウムで、基調講演とコーディネーターを務められていた野間講師を見初めました! その場で、迷惑を顧みずに、私たちの活動に対しての「学」の立場からの支援をお願いしました。京大の里山研究会のメンバーで、「木を伐って(現代的な意味で利用して)森(二次林)を残す」視点での提案や指摘がしていただけそうに考えたからです。
 その時より、愛知川河辺林のフィールドへ招待していたのですが、何と14日の作業日に駐車場より迷うことも森の深さに不安になることもなく(知らない人はなかなか作業現場にたどり着けません。標識はどうなっているんじゃ!との声が聞こえます。)、いつもの木の下でミーティング中の我々の前に現れました。早速、氏を囲んでお話を聞くことになりました。氏のフィールドである九州のブナ帯におけるササと樹木の関係は興味深いものでした。林床にササが繁茂している限り他の植物は生育できないが、およそ100年に一度ササが地下茎を含めて枯れて種子からのやり直しになる機会に、ブナは種子からササ以上の高さに成長してブナ林を更新していくという話でしたが、自然界に組み込まれているプログラムに驚きました。
 飲んべえばかりの遊林会会員を見放されることなく、先生には、今後のご指導を期待しております。




★森と燃料や地球のこと

 ほんの少し前のことだけれども、話題にのぼることもなく、変わってしまった今の有様が当然のことのように思われていることが数多くあるように思います。
 私の小学生時代、テレビがようやく各家庭に入り始めた時代ですが、風呂は毎日沸かすものではありませんでした。「もらい風呂」という風習があって、近所や親戚で交代に風呂を沸かして、風呂のもらい合いをしていました。私の時代(昭和30年代)には、さすがにそんなことはありませんでしたが、以前はその風呂の湯も少なくてようやく○○タマが浸かる程度で○○タマ風呂という言葉もあったようです。「もらい風呂」も○○タマ風呂も、いずれもお湯を沸かす燃料が貴重で節約のための生活の知恵でした。一面、「もらい風呂」は、毎晩、コミュニケーションの場で話題豊富で馬鹿話をする年寄りの活躍の場でもありました。
 建部北町の森では、燃料の薪を得るために大八車で森に入り、材料の木を山盛りに積んでお昼に帰ろうとするとちょっとした上り坂が登れずに困ったそうです。そんなときにはあわてずに待っていると、他にも山に入っている人が同じように戻ってきて、互いに大八車を押し合いをして坂を上ったそうです。毎日、山に入る人がいたということを象徴する話です。
 近くに森がなくて燃料にする薪が手に入りにくい所ではどうしていたのでしょうか? 畑で収穫できる菜種、麦、大豆などの茎を燃料にしていたそうで、すぐに燃え尽きてしまうこれらを燃料にしての炊事や風呂炊きはせわしなくて大変だったようです。そんな今では想像もできない時代も、40年とは前のことではありませんでした。
 蛇口をひねればお湯が出る現代の子ども達には、燃料の薪が貴重であったことも、薪を毎日の燃料に使っていた生活を想像することもできないのではないでしょうか。そして、世界中どこでも燃料にプロパンガスや灯油・電気を使用することが当たり前のように感じていることと思います。  遊林会の活動やネイチャーセンター役割のひとつとして、こんなことを思い出したり考えたりするきっかけにもなって欲しいと考えています。

★カメラ & ビデオ


大西さんのテープとビデオ

 前回の「河辺林通信−−−」でカメラマン(ウーマン)を募集しましたところ、幸いに撮影者が見つかりました。今後は少し楽できるなぁーと思っています。遊林会メンバーには3人の森さんがいますが、その内の一番今のところ目立っていない森さんです。もう一つの朗報は、ビデオ撮影者まで見つかってしまったことです。14日の作業日にビデオ撮影のセミプロの大西さんを見かけたので、「大西さん、ビデオで記録残してもらえんやろか?」と頼んでみると、「迷惑になるといかんと思って遠慮してたんですわー」とのこと。早速、車からビデオカメラを出しての撮影となりました。16日には、VHSに落としたテープとビデオ画面のプリントを届けて下さいました。万歳! 活動の記録が残ります。これからこのような活動は県内でも増えていくと思いますが、そんな時、これらの記録は重要な意味を持つと思っています。
 保存は、この森に建設するネイチャーセンターでいたします。

★新しい植物?

 野間さんに森の一部を見てもらっただけなのですが、今までの2回の調査になかった植物を教えていただきました。この森でオオバギボウシの花を見た人は多いと思いますが、同じくギボウシの仲間のイワギボウシと思われる個体もあるようです。ギボウシの仲間は見分けるのが難しいそうで花の時期も見てみないと・・・・・ということですが。ちなみに野間氏の先生はギボウシの専門家だそうです。それとは別にランの仲間も2種類見つかっています。
 調査で洩れていた仲間とは別に、作業を終えた明るい森の地面では、今までの調査で拾えなかった植物が目を覚まして活動を始めています。花の咲くのは秋も深まってからですが、白い小花が美しい山地性のリュウノウギク(竜脳菊)もそんな仲間です。そこここに株が出てきましたので、下草刈りの犠牲にならなければ、いずれは晩秋にあちこちで花を見せてくれることでしょう。オニユリもこの森では確認できていなかったのですが、今年は一輪だけですが弱々しい花を咲かせていました。これらの植物の姿を見ることができるようになったのは、人の林床管理作業が植生を豊かにすることを実証しているようです。

★「河辺いきものの森」情報

 「河辺いきものの森」は、環境庁の補助金を得るために正式名称を「いきものふれあいの里」とします。朽木いきものふれあいの里の兄弟分です。現在、ネイチャーセンターや進入路の予定地で、テープを張って区割りをした中の樹木調査をしています。可能な限り樹木を避けて施設を整備するための作業です。ネイチャーセンターについては、施設の内容や運営方法等についての検討を有志の方々にお願いしています。

★近江風景探訪講座受講生の参加

 9月の作業日には、県の自然保護課主催の近江風景講座「河畔林とその活用」の受講者の方が参加されます。少しの時間ですが、温かく迎えていただけるようにお願いします。


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